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あなたの人生の中で、最も不幸だと感じた瞬間はいつだろうか。その時のあなたは、どんな感情を抱いていただろうか。助けを求めることはできていただろうか。
家族との死別は、人生最大のストレスと言われている。遺族の心や体に深く影響を及ぼし、時には普段通りの生活を送れなくなることもある。流産・死産・新生児死・乳児死等で我が子を亡くす経験も同様だ。死別だけでなく、病気や怪我、自己肯定感の喪失など、大切にしているものを失う悲嘆のことを「グリーフ」と呼ぶ。悲しみ、怒り、不安、孤独感など、様々な心の反応が長い年月をかけて現れるのだ。
本記事では、実際に死産を経験された方の当時の心の変化を語っていただいた。同じ経験をされた方の共感や新たな気づきに繋がれば幸いだ。
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妊娠37週/子宮内胎児死亡(IUFD)による死産
名前:大沢亜弥さん(仮名)
地域:東京
職業:会社員(正社員)
家族構成:ママ(33歳)、パパ(33歳)、お子さんがお空に2人、地上に2人
28歳で自然妊娠、妊娠37週(妊娠10ヶ月)に原因不明の子宮内胎児死亡(IUFD)で死産
「私の人生の中であの時が一番地獄でした」
今回、インタビューに応じてくれた亜弥さんは、2016年の時に結婚(当時26歳)。一度早期流産を経て、2018年に妊娠37週(10ヶ月)で死産を経験している。当時の悲痛な経験を静かに語ってくれた。
突然の宣告
2018年4月。お別れの時は、突然やってきた。
赤ちゃんがいつ生まれてきても良いように、おむつや洋服、ぬいぐるみなどの準備は万全。手作りのスタイも、あとはアイロンで名前を付けるだけ。新しい家族を迎える喜びを噛み締めていた矢先の出来事だった。
その日は、朝から胎動がなかった。すぐに病院へ行き、胎児の心拍をモニタリングするNST(ノンストレステスト)を実施した。心拍が確認できず、その後エコーを行うが反応は見られなかった。
静寂の中、医師の言葉が響いた。「心臓が止まっていますね。すぐに入院して産みましょう」私は、頭の中が真っ白になった。隣で一緒に話を聞いていた夫も取り乱した様子で、「じゃあ、今からすぐに出して蘇生するんですか?」と質問する。医師から「いや、それは無理だよ。もうそういうことはできないんだ」と説明を受けて、呆然としていた。私たち夫婦の幸せだった日々は、一瞬で地獄へと変わってしまった。
入院の準備をするために、タクシーで家に帰る。玄関に足を踏み入れた瞬間、夫は泣き叫んだ。夫がこんな風に声をあげて泣く姿を見るのは初めてだった。私は、夫に寄り添う心の余裕も無く、それをただ眺めていることしかできなかった。
「後悔だけはしたくない」それだけを強く思いながら、カバンに洋服やぬいぐるみ、それと急いでアイロンで名前を付けた手作りのスタイとにぎにぎを詰め込み、病院へ戻った。まさか、こんなことになるなんて。数日前までの幸せな日々からは想像もつかない出来事となった。


ただ話を聞いてほしい
亜弥さんは、入院中、とにかく誰かに話を聞いてもらいたかったそうだ。共感してほしいわけではない。何かを言ってほしいわけではない。ただただ、聞いてほしかった。仲の良い友人に電話をかけ、事の経緯を一から十まで話した。夜間は、その日の担当看護師に、朝の4時まで長時間話を聞いてもらっていた。「次の子はいつ産めるのか」「産むときはどれくらい痛いのか」「なんでこんなことになっちゃったんだろう」そんな質問を毎晩繰り返す。睡眠導入剤を注射され、ようやく眠れるような入院生活だったという。亜弥さんは、当時のことを思い出しながら「ちょっと頭がおかしかったんだと思います」と苦笑していた。
正常な心の反応
悲嘆のプロセス(*1)には、否認やパニックといった段階がある。否認とは、赤ちゃんとのお別れを認める事ができず否定する段階。そしてパニックとは、赤ちゃんとのお別れを確信するが、否定したい感情が合わさりパニックとなる段階のことを指す。入院中の亜弥さんは、今から赤ちゃんとお別れをするという事実を認めることができず、否認とパニックの状態にあった。そして、周囲に話を聞いてもらうことで自分がどういう状況にあるのか、言葉や映像に残して再確認していたのではないかと考える。友人や看護師に長時間話を聞いてもらっていたことは、当時の亜弥さんの心の救いになっていたのだと思う。
我が子との対面
入院中、医師から分娩方法について再確認されたそうだ。ただでさえ心に深い傷を負っているのに、陣痛の痛みに耐えられるはずがない。そう思った亜弥さんは、もともと希望していた無痛分娩を選択した。
いよいよ出産の日。
入院日に子宮口を拡張するためのラミナリアを入れ、3日が経過した。重い痛みが続き心身ともに疲弊してきた。今日はいよいよ赤ちゃんと対面する日だ。無痛分娩のため、腰から麻酔を入れる。痛みが鈍くなる。どれくらいの時間が経ったかはわからない。全身に力を入れていきむ。そして、我が子が誕生した。
――そして、我が子との対面。
生まれてきた子は、自分の顔とそっくりな見た目をしていた。今まで自分に存在していなかった母性という感情が湧きあがり、愛おしく感じた。なんて可愛いんだろうと心の底から思った。そして、当然ながら産声はなかった。嬉しさと悲しさが入り混じり、感動とも興奮とも呼べるような状態。涙と共にたくさんの感情があふれてくる。
何でこんなに可愛く生まれてきてしまったんだろう。
そんなやり場のない気持ちを抱いて、お別れまでの残された短い時間を共に過ごした。
次の妊娠への焦り
亜弥さんは、死産を経験してから3か月で次の子を妊娠している。当時は、早く次の子を産まなければと焦りを感じており、何らかの支援を調べる気持ちにもならなかったと言う。当時を振り返り、「体への負担がとても大きく、後悔しています。ゆっくり休んで新しくスタートすれば良かった」と語る。また、病院から次の妊娠開始時期についての明言がなく、自己判断をしてしまったのも原因の一つだそうだ。心のバランスが崩れているときに、情報を正しく判断することはきわめて困難である。医療者だけでなく、周囲からのサポートがいかに重要かがわかるお話だった。
「どんな手段を使ってでも、元の自分に戻ってきてほしい」
亜弥さんは、死産を「人間の中身が壊れてしまうくらい、辛くショッキングな出来事」と表現していた。前述した悲嘆のプロセスは、すべての経験者がまったく同じ経過を辿るわけではない。複数の段階が同時に起こることもあり、立ち直るまでに何年、何十年もかかる場合がある。死産を経験してから5年が経つ亜弥さんも、インタビュー中に涙を見せる時があった。月日が流れようと、消えることのない記憶として残るのである。
感情と向き合う
自分でコントロールできない感情に、どのように向き合っていけば良いのだろうか。
亜弥さんは、当時を思い返すと心が不安定になるため、あえて思い出さないようにしているそうだ。年に1回の命日の時だけお菓子を供え、線香をあげてお祈りするのだと言う。我が子を思い出し泣くことも、思い出さないように心にそっとしまっておくことも、これらに正解はない。どんな選択をしたとしても、すべて「我が子とのお別れを経験した親の心の反応」なのだ。
赤ちゃんとのお別れを経験し、今もなお、抑えることのできない感情の起伏と向き合っている人もいるだろう。まずは、自分の気持ちを押し殺さずに自由に感情を表現してほしい。泣く、叫ぶ、怒る、無心になる。どんな感情もあなた自身のものであり、誰にも妨げられる必要はない。
亜弥さんは、最後にこう語る。
「周りに助けを求めてほしい。同じ経験をした人の体験談を読んだり、心を許せる人にありのままを話したり。自分の心のままに、使える手段は全部使って、何が何でも本当の自分に戻って来てほしい」
今感じている悲しみは、いつか必ず癒える時が来る。あなたの悲しみが収まった時に、ふと我が子のことを思い出せるような、明るい未来を迎えられることを祈っている。
(写真=亜弥さん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)
*1ドイツの哲学博士、アルフォンス・デーケンによる分類/悲嘆のプロセス12段階
この記事は、2023年10月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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