Top 記事一覧 体験談 妊娠30週での子宮内胎児死亡(IUFD)での死産―当事者の声 その時#17

妊娠30週での子宮内胎児死亡(IUFD)での死産―当事者の声 その時#17

自らのお腹に宿った命が、自分より先に空に旅立つ。妊娠がわかったときにそんな未来を誰が想像するだろう。
そんな絶望の中で、生きていくことすら精一杯な日々を送った経験があるママも少なくはないのでは。
悲しみの受け入れ方は人それぞれあり、正解はない。今回インタビューを受けてくれたえみさんも、その一人だ。

今でもお子さんを想って涙が溢れる。しかし、少しずつ日常を取り戻しつつあるママにお話を伺った。

妊娠30週/子宮内胎児死亡(IUFD)による死産

名前:遠藤えみさん(仮名)
地域:東北地方
職業:パート職員
家族構成:ママ(32歳)、パパ(33歳)、お子さんがお空に1人
不妊治療(タイミング法、人工授精を経て1回目の体外受精)にて32歳で妊娠、妊娠30週(妊娠8ヶ月)に原因不明の子宮内胎児死亡(IUFD)で死産

奇跡の子を授かった

えみさん夫婦は、妊娠を考え始めたタイミングで不妊治療のクリニックの門を叩いた。
タイミング法、人工授精を経て、1度目の体外受精でめでたく妊娠。

体外受精の移植日(※受精卵をママの子宮内に戻すこと)は偶然にもえみさんの結婚記念日で、「妊娠したら運命感じるね」そう夫婦で話していた。そんな矢先での妊娠に、夫婦にとってまさに『奇跡の子』を授かったと感じ、亡くなった父、ご先祖様、神様に「ありがとう」と何度も感謝を伝えたそうだ。

えみさんが妊娠中、一層幸せをかみしめたのは、胎動を感じるようになった頃。

子どもに関わる仕事に就いていたこともあり、子どもたちが少しずつ大きくなるお腹に話しかける姿は、家族だけでなくえみさんの周りにいる人々がその命の誕生を心待ちにしているようだった。
妊婦健診では、エコー中にあくびをして見せたり、4Dエコーで見せたその表情はパパの口元、そしてママの鼻筋によく似た可愛らしい赤ちゃんだった。

突然の別れ

それは幸せに満ちた妊娠生活も28週を迎えた頃だった――。

その日は、いつもは1日に何度もある胎動を感じないなと思い、仕事を終え夕方に受診。
しかし親の心配とは裏腹に病院では胎動が戻り、赤ちゃんも元気だったので帰宅。

翌日も胎動を感じず、不安な気持ちで再度受診した。

病院ではエコーで赤ちゃんが元気なことを確認してもらったが、私自身の不安感が強いようだから、と入院させてもらった。
この入院の間も、NST(※ノンストレステスト)で赤ちゃんの様子を確認し、胎動もしっかり戻ったので、3日間で退院した。
退院の4日後に妊婦健診があり、そこでも元気な姿を見せてくれた。

妊婦健診の2日後。

その日も1日中胎動が感じられない気がする。
でも気のせいだろうか。
今までだって元気だったし、医師も「神経質になっているんじゃないか?」と言っていた。

今思えば、この迷いはいらなかったのに……。

この日は土曜日で、月曜日まで受診せず様子をみた。
しかし、いくら待っても胎動を感じず火曜日の朝一番で受診。

そこで医師に言われたのは「赤ちゃんの心拍が確認できない。もうこの赤ちゃんは生きていない」という辛い言葉だった。
私はそんな医師の言葉をかき消すように「いやだ、いやだ……!」と泣き叫ぶ。

仕事が赤ちゃんに負担をかけたのか?早めに産休に入ればよかったのか?そんな後悔の想いに埋め尽くされた。
寄り添う看護師や到着した母と会話を交わすことなく、ただただ涙が止まらなかった。

出張先から急遽戻った夫の姿を見た私は、「ごめんね」とその一言しか口にできなかった。
私たちの赤ちゃんを守れず、パパにしてあげられず、「ごめん」。その気持ちしか出てこない。

そんな謝罪の言葉を繰り返す私を、夫は言葉ごと包み込むように力強く抱きしめてくれた。

娘との対面

辛い現実を目の前にし、お互いを思いあう優しいママとパパ。
そんな優しい両親を持つ赤ちゃんは、いっちゃんと名づけられた。

ママはいっちゃんとの突然の別れを宣告されてからずっと、この出来事すべてが嘘のように感じていたという。

赤ちゃんが生きていないという事実が夢なのでは?
それだけではない、妊娠したということ、そこからすべて夢なのでは?
まだお腹も大きいのに、赤ちゃんは生きていないなんて……。
様々な感情が押し寄せ、夢か現実か、理解できないまま時間だけが過ぎた。

心拍の確認が出来なくなってから2日経ったその日は、梅雨とは思えぬよく晴れた朝だった。
太陽の光が漏れるカーテンを開けると、眩しいくらいの朝日が覗く快晴。
どこからともなく小鳥の声まで聞こえてきて、赤ちゃんの誕生をみんなが待っていると思わざるを得ないほどの天気。

そんな天気に、ママは「いっちゃん、もってるな」そう感じたそうだ。

ママは誕生後に読んであげたいと思っていた絵本とこの日の空を写真におさめ、「さあいっちゃんを産むぞ!」と自然と気合が入ったという。
みんなが誕生を心待ちにしていた「いっちゃん」は、その日の昼頃にママとパパにその姿を見せてくれた。

初めていっちゃんに対面した時、ママは「とにかく可愛い」そう思ったそうだ。
生きていないはずなのに、なのに可愛くて愛おしい。こんなにも可愛い子が自分のお腹にいたのか。

涙よりも先に、笑みがこぼれる。

まだ小さいと思っていたその姿は、ママが想像していた”赤ちゃん”そのもので、1400gほどと大きくはないはずなのにしっかりと感じる重み。
そしてママとパパによく似たお顔は、エコーで見るものよりもずっとずっと可愛かった。

えみさん一家の大切な家族写真

この時ママ、パパ、いっちゃんの3人で撮った最初で最後の家族写真は、今でもえみさんの自宅に大切に飾られている。

出産後看護師から、一緒に過ごすことも預かることをできると言われたえみさん一家は、いっちゃんと一緒に過ごすことを選んだ。

写真を撮り、お手紙や命名書を書き、大切な家族の時間を過ごす。
その夜、眠りにつくことができなかったえみさんは、深い眠りの中にいるいっちゃんをただただ見つめていた。
いっちゃんとのお別れがわかってから眠れていなかったママだが、この日も変わらず眠れなかった。

そのまま朝を迎え、退院し自宅に戻ったえみさん一家。

少しでもいっちゃんと一緒に時間を重ねたいと、退院翌日の午後にお別れの時を決め、それまでは親子で過ごす時間を作った。
実母や義両親にも来てもらい、いっちゃんを抱っこして、命名書に手形と足形をつけ、夜はママといっちゃんお揃いのピンクのパジャマで過ごした。
パパは、自分にはお揃いのパジャマはないの?とちょっと拗ねてみたり……それはありふれた家族の様子そのものだった。

送り出す空

お別れとなる日の朝、その日も空はよく晴れていた。
ママ自身も晴れ女を自負しているが、わが娘も相当の晴れ女だな、そう感じたという。

そしてえみさんは、この日の空も写真におさめた。

あなたは生まれる日も旅立つ日も晴れを選んだんだよ、そう伝えたくて――。

火葬場へ向かう前に実母や義両親がえみさんの家を訪れ、みんなからのプレゼントや空の写真をいっちゃんとともに棺におさめた。
そして火葬場へ移動し、みんなからのお手紙を添えてみんなでいっちゃんを空に送り出した。

ママやパパだけじゃない、じいじもばあばも、職場の人も子どもたちも、みんなから愛された子だったんだよ、そう想いをこめて……。

そして帰宅後は倒れるように眠ったという。
思い返せば、いっちゃんとのお別れを告げられてから今まで食事もあまり喉を通らず、さらには寝ていない。ママはもう体力も気力も、限界を超えていた。

周りの言葉

いっちゃんとお別れした後、えみさんの周りには寄り添ってくれる人がたくさんいた。
多くは語らず、「私には到底想像できないくらい辛いと思う」と言葉をかけてくれた人もいた。
当時のえみさんにとって、前向きなアドバイスよりどんな共感より自分を考えてくれた言葉だと感じ、ありがたみを感じたそうだ。

また当時の上司は最後までえみさんが復帰できる場所を守ってくれていたという。

突然の悲しい出来事に、気性が荒くなり自分自身が嫌な奴になっていたと思える時期もあったが「今はしょうがないよ」そう言ってくれる人も、定期的に食事に誘ってくれる友人もいた。

心の支えになってくれることが嬉しく、信頼できる人たちがいるんだと感じたという。
みんなに愛されたいっちゃんは、みんなに愛されるママによく似ていたのだろう。

しかし一方で、受診していた病院の悪評を伝えてくる人、次の妊娠のことを話してくる人もいた。
本人たちは良かれと思って伝えたのかもしれないが、えみさんにとっては耳を塞ぎたくなるものばかりだった。

実父が亡くなった時には、次の父親はどうするのかなんて誰も話してこないのに、なぜ今その話をするのかと、不信感まで感じたという。

あの日から今日まで

いっちゃんとお別れをしてからしばらくの間、えみさんは息をしているだけで精一杯だった。
そんな時期を過ごし、えみさんは同じように辛い経験をした人たちへ「生きているだけで充分」そう伝えたいという。

今でも涙は出るし、辛いという事実は変わらない。
しかし、「辛い中でも地に足をつけて生きてきた自分がいる、だからこれからも大丈夫」そんな思いが、えみさんにはある。

お別れをしたあと、えみさんはお坊さんにいっちゃんの戒名をつけてもらった。
本来、生まれてくることができなかった子どもには(宗派によっては)戒名をつけないが、そのお坊さんは「生まれた子どもとして」接してくれた。

だから「自信をもって『この子は私の娘です』と言える」と話すえみさんの表情は、優しく見えた。

分骨をし、お墓ではご先祖様たちに守られ、自宅ではママとパパに見守られているいっちゃん。
えみさんは毎月の月命日にお墓に手を合わせる。また、以前は向き合えなかったお位牌にも、最近は手を合わせられるようになってきた。

えみさんは『絶望』だと思ったあの時から少しずつ日常に戻って来ている。無理に頑張らなくても乗り越えなくても、早く元に戻ろうと思わなくてもいい、生きてさえいれば日常はいつの日か戻ってくる、そう思っている。
ここに至るまで、えみさんは何か特別なことをしたわけではない。時間が少しずつ彼女を日常に戻してくれている。

赤ちゃんとお別れをした当事者の体験談は、検索しても数多くヒットするものではない。
悲しみの中どう過ごせばよいのか、各々の過ごし方に正解はないが、当記事や当サイトが誰かの支えに少しでもなれることを願う。

著者(写真=えみさん提供/取材・文=SORATOMOライター 川野志穂)


この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
記事の内容は2025年5月の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を基に構成しており、同じお別れを経験した方にあてはまるものはありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
※記事内の画像や文章の転用を禁じます

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