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生後2日での先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死―当事者の声 その時#07

今回は、当サイトの運営をしている一般社団法人SORATOTOMONIの代表理事である石堂にインタビューし、執筆する。
石堂は、生まれた赤ちゃんの0.1%にしか起こらない「新生児死」を経験した。日本は諸外国に比べ、新生児の死亡率が圧倒的に低いが、そんな日本でも救えない命があるのだ。

赤ちゃんとのお別れの中でもマイノリティな新生児死については、非常に情報が少ない。そのうえ、出生届を出したり医療費助成を受ける必要があったりなど、無事に生まれた赤ちゃんと同じ手続きを踏まなければならない状況にも遭遇する。

我が子との別れ。深い悲しみに襲われ、日常生活もままならない。そんな時に、情報を自ら集めなければならないもどかしさ。この記事を通して、当時、石堂が感じた正しい情報を見つけることの難しさ信頼できる情報を得ることの大切さを伝えたい。

今回は石堂の夫にもインタビューを行い、パパ視点から見た当事者の声も掲載している。
是非合わせてご覧いただきたい。

「先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死―当事者の声 その時#08 パパ編」はこちら

生後2日/先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死

名前:石堂雅子さん
地域:東京都
職業:マーケター(正社員)
家族構成:ママ(36歳)、パパ(40歳)、お子さんがお空に3人(2人は早期流産)
男性不妊のため、精巣内精子採取術(TESE)で精子を採取。その後、顕微授精をし1回目の胚移植で妊娠した。先天性横隔膜ヘルニアにより、生後2日で新生児死となる。

2022年春。石堂夫妻は、初めて赤ちゃんを授かった。

不妊治療を経ていたこともあり、妊娠に対する喜びよりも、何が起こるかわからない不安な気持ちの方が強く、冷静でいようと努めていたという。夫が遠方に単身赴任していたため、妊娠中は1人で日常生活を送り、妊婦健診も常に1人だったそうだ。

「診察で、赤ちゃんの心臓と胃の位置がおかしいって指摘されたんですよね」

石堂は、1年前の我が子との別れを思い出しながら、語り始めた。

見つからない情報

妊娠27週の妊婦健診の日。

医師が、内診しながら「あれ?」と言葉を漏らす。いつもより長めの診察が終わり、“赤ちゃんの心臓と胃の位置がおかしい”と告げられた。どういう状況か理解できないまま、医師は説明を続けた。

「今の段階ではどういう状態かわからない。生まれたときに処置が必要な場合もあるし、生まれた後もどうなるかわからない。設備が整った病院で産んだ方が良い」

説明しながら、大きな病院宛ての紹介状を書いてくれた。妊娠27週になってからの想定外の状況で、理解はできるものの、ただただ感情が追いつかなかった。
診察が終わり、すぐに夫に連絡する。夫も突然のことに困惑している様子だった。

その後、今ある情報から考えられる疾患を片っ端から検索した。手当たり次第にサイトを開いたが、いくら調べてもそれらしいものは出てこない。紹介状を書いてもらった病院のホームページに、たくさんの症例が載っていた。心臓の疾患だろうか。おなかの子がどういう状態なのか知りたい、その一心だった。それらしい症例が全く見当たらず、心には焦りの気持ちが大きく膨れ上がっていった。

翌週、紹介状を持って大きな病院を受診した。「先天性横隔膜ヘルニア」の診断がついた。

もしもの時のこと

それからの日々はとても長く感じた。

毎日のように先天性横隔膜ヘルニアについて調べた。生まれつき横隔膜に穴があいており、本来おなかの中にあるべき臓器の一部が胸の中に脱出してしまう指定難病のようだ。2000〜5000人に1人の発生率と言われている。

こんなに低い確率なのに、なんで私の子が。おなかの子は外の世界で生きていけるのだろうか。どんな障がいがあってもいい。とにかく生きていてくれればいい。

おなかで元気に動くこの子の将来がとにかく気がかりだったが、悲観的にならないように意識して過ごした。そうしないと、自分の心や生活がすべて壊れてしまいそうで怖かった。

妊婦健診のたびに、他科の医師から話があった。先天性横隔膜ヘルニアの場合、産科だけでなく小児外科、NICUなど、いろいろな診療科の医師が関わる必要があるからだ。手術や合併症、使用する治療薬、予後の確率など、さまざまな話を聞き、たくさんの同意書を書いた。説明を聞くたびに知らない単語が出てくる。どの医師もわかりやすく丁寧に説明してくれるが、もっと深く知りたいという一心で、論文まで読み漁った。

そんな日々を過ごす中で、助産師からの話が強く印象に残っている。石堂は、当時の心境を語る。

「普通、妊婦が緩和ケアの話を聞くことはないと思います。私は緩和ケアを看取りだと認識していたので、とても悪い状態なんだと察しました。助産師さんに、お別れの時にやりたいことはあるかと尋ねられ、『もちろん考えたくないと思いますが、もしものときのことも頭の片隅に入れておいてくださいね』と念を押されました。希望を持ちたい気持ちとは裏腹に、改めて現実を突きつけられた気分でした。死ぬことも考えて産まないといけないなんて、どう考えても悲惨ですよね。」

脳裏に焼き付く光景

2023年、無痛分娩で息子が誕生した。
生きているはずなのに、産声は聞こえない。無痛分娩により痛みはないが、生きている実感が湧かず悲しみの涙が止まらなかった。

分娩室には、20〜30人ほどの医療者が集まっている。事前に、赤ちゃんの処置をする医師が出産時には3人以上必要と聞いていたが、こんなにたくさんの医療者が集まるとは思わず、驚愕した。

「心拍戻りません!」「サチュレーションは!?」

まるで怒号のように言葉が飛び交う。鳴り響く機械の音。空気が冷たい。息子は無事だろうか。

「おめでとうございます」

不意に、祝福の言葉をかけられた。お祝いしてくれたのは、助産師だった。

助産師は、保育器で処置をしている息子の顔が見えるように、鏡を広げてくれた。親子で一緒に写真を撮れないか、試行錯誤してくれた。その時はただ状況を眺めているだけで精一杯だった。何かのドラマ撮影を見ているような、自分におきていることだと感じられなかった。

出産当時の光景は、今も頭にこびりついて離れない。

届かなかった祈り

夕方4時頃。息子に会う許可が出たため、車いすでNICUへ向かった。NICUにはたくさんの機械が置かれており、その傍らには保育器の中で眠る小さな赤ちゃんがいた。

息子は、NICUの一番奥の部屋で眠っていた。息子の身体には、人工呼吸器や点滴、心電図モニターなどの管がたくさん付いている。手と足には、酸素飽和度を測るサチュレーションモニターが付いていた。酸素飽和度とは、血液中の酸素の量のことで、酸素吸入時は90%以上であれば十分とされている。息子の数値は、上半身が60%、下半身が40%だった。モニターを見た瞬間絶望した。

こんなの絶対無理だ、この子はもう生きられない。

息子とのお別れを察し、頬に涙が伝った。

その後、夫が合流した。

医師から、「できる限りの手は尽くしましたが、厳しい状況です。あとは亡くなるリスクの高い薬を使うかどうかになります。ご夫婦で考えてみてください」と言われた。

「助かる道がそれしかないなら、お願いします」

震える声で返答し、その日は病室に戻った。

夜、息子に会う許可が出ていたが、願掛けの意味を込めて会いには行かず、そのまま朝を迎えた。

――翌日、私たち夫婦の祈りもむなしく、息子は息を引き取った。

病院がしてくれたこと

石堂は、当時の病院の対応に心から感謝していると述べた。

医師は、息子のために最期まで最善を尽くしてくれた。助産師や看護師は、産まれてから亡くなるまでの息子にできることを、いろいろ提案してくれた。当時は言われるがままに対応するだけの石堂だったが、今振り返ると、感謝しかないと語る。

「生まれた後、亡くなった後、それぞれやりたいことを尋ねられましたが、治療があるのにできないだろうし、亡くなることなんて考えたくなくて、何も決めず、何も用意しませんでした。にもかかわらず、生きている時も亡くなってからも、息子との思い出を残すことができました。本当に、病院の方には感謝しています」

適切な情報を得られる場所

息子が亡くなってからの記憶はあまり残っていない。一連の出来事がようやく終わり、解放されたような気分だった。その一方で、悲しみはいつも訪れ、一日に何度も目に涙を浮かべる日々が続いた。息子の死によって取り乱す自分になりたくない。そう思い、冷静に見えるように振る舞った。しかし、頭の中には、死んだら息子に会えるのだろうか、息子の手足を切り取って保存することはできなかっただろうかなどの狂気的な考えが巡っていた。

普段通りの自分でいるように努め、冷静に過ごせていると自分では思っていたが、実際は心が壊れていたことにすら気づいてなかったのだ。

そのような精神状態で、出生届や死亡届の出し方、火葬の方法を調べなければならなかった。インターネットに書かれている情報は、流産・死産を前提としたものが多い。赤ちゃんが誕生し、その後亡くなるという「新生児死」に関する情報は、限りなく少なかった。見るだけですべてがわかるような、“適切な情報をいち早く得られる場所”があればいいのに。そう強く思った。

言葉に出す辛さ

お別れから少し経ったある日。石堂のもとに病院から電話がかかってきたそうだ。息子さんの医療費に関する内容だった。退院時に病院から出産や自身の入院費については説明を受けていたものの、息子さんの医療費に関しては触れられたことがなかったようだ。

病院側の配慮だったのか、はたまた記憶がないだけなのか、当時の精神状態を考えると、定かではなかった。

石堂は、当時をこう振り返る。

「病院から連絡が来て、指示通りに急いで手続きをしました。役所や職場に申請が必要なこともあり、『子どもが亡くなった事実』を言葉に出して説明しなければならなかったことが憂鬱でした。その場の空気が凍りつくのがとにかく嫌で。しかも、全部自分で調べて手配しなければならなくて、息子はもういないのに何でこんなことが必要なんだろうと喪失感に襲われました。もっと息子のことを考えて、ゆっくり過ごしたかったです」

患者・家族会との出会い

石堂は妊娠中に、先天性横隔膜ヘルニアのお子さんをもつ母親たちで発足した「先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会」を見つけた。SNSでその存在を知り、すぐに自ら連絡をして入会したそうだ。同じ経験をした人と情報交換でき、今後の自分に訪れるかもしれない未来を知ることができて安心できたと言う。先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会では、胎児診断された方、子育て中の方、グリーフの方の3つに分けて運用をしている。ピアサポートブックを配布したり、小児科医が医療講演会を開いたり、チャットでお悩み相談を受けたり、情報交換会を開いたりしているそうだ。石堂は、患者・家族会についてこのように語る。

「心が不安定な時は、自分で調べた情報が正しいかどうか判断できないこともあると思います。特に、SNSでは簡単に当事者の声を聞くことができますが、病状には個人差があり、その意見には個人の感情が含まれています。患者・家族会のような、正しい情報を把握できる団体が社会に広まり、本当に必要な人のもとに届けば良いなと思います」

「先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会」のパンフレット

心穏やかに過ごせるように

現代はインターネットが普及しており、その場で多くの情報を得ることができる。非常に便利な世の中であるが、石堂が感じたように、赤ちゃんの病気やお別れに関する情報は限りなく少ない。また、新生児死を経験する当事者は、身内の死別を自身で対処することがない若年層が多い。そして、自分ではコントロールできないほどの強い悲しみが生じている時に、知らないことを一から調べ、細かな手続きをしなければならない。

WebメディアSORATOMOは、多くの当事者が抱いた「こんな情報が欲しかった」という声に対し、当事者の想いを汲んだ適切な情報をいち早く提供できるサイトとなることを目指している。そして、赤ちゃんとお別れをしたママパパには、少しでも多くの時間を「我が子を想う時間」に使い、心穏やかにその時を過ごしてもらいたい。

(写真=石堂提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)

<参考文献>
令和4年(2022) 人口動態統計(確定数)の概況|厚生労働省|2024.3.31取得
世界の新生児死亡率 国別ランキング・推移|GLOBAL NOTE|国連|2023.3.2更新
先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会|2024.3.31取得


この記事は、2023年11月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
※記事内の画像や文章の転用を禁じます

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