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妊娠39週(臨月)子宮内胎児死亡(IUFD)での死産―当事者の声 その時#16

“ペリネイタルロス”と聞いて、これが何を示すのかをすぐに理解できる人は、当事者を除けば数少ないだろう。そして、この言葉の意味を理解すると“悲しい出来事”と捉えられる。しかし、悲しい出来事の中にも「やっとわが子に出会えた」という喜びの感情が存在することも確かである。「悲しい出来事」だけが想像され、その喜びを誰にも共有できずにいるママも少なくはないはずだ。今回インタビューを受けてくれた雪さんもその一人。

お子さんを失った悲しみ、そして出会えた喜びを同時に経験したママにお話を伺った。

妊娠39週/子宮内胎児死亡(IUFD)による死産

名前:村田雪さん(仮名)
地域:神奈川県
職業:会社員(正社員)
家族構成:ママ(36歳)、パパ(37歳)、お子さんが地上に1人、お空に2人(1人は早期流産)
不妊治療(タイミング法)にて34歳で妊娠、妊娠39週(妊娠10ヶ月)に原因不明の子宮内胎児死亡(IUFD)で死産

流産を経ての妊娠

1人目のお子さんを出産後、2人目を望んだ雪さんは不妊治療、そして第2子の流産を経て第3子となる赤ちゃんを妊娠。この周期が陰性であれば人工授精へのステップアップを検討していたタイミングでの陽性だった。

一度流産を経験している雪さんにとって、妊娠は喜ばしいものであると同時に不安も感じていた。しかし、その不安を吹き飛ばすようにお腹に宿った命は力強く鼓動を刻み、12週を超えた頃からは雪さんも安心感を覚え、赤ちゃんはそんな思いに応えるように順調にその鼓動を刻み続けた。

止まってしまった鼓動

計画無痛分娩を予定していた雪さんは、出産前最後となる妊婦健診のため寒空の中いつものように病院を訪れた。
診察室に入り、いつも通りエコーをする。まずは赤ちゃんの頭位(※頭が下にあること)を確認し、その後心臓の動きを確認する、はずだった。

「えっ……!?」医師が突然驚きの声をあげた。エコー画面に、先週まで確認できていた心臓の鼓動が映らない。ママ自身にお腹の張りや痛みもない。昨晩まで胎動も感じていたのに、赤ちゃんが生きていることを示す鼓動は別の医師が確認しても無くなっていた。
「今すぐ産んで、蘇生することはできないのか」雪さんは医師に問うが、その答えは「No」だった。

診察中は実感がわかず、画面越しに起きている何か別の出来事のような不思議な感覚だったという。しかし診察を終えパパに電話をした瞬間、一気に現実が押し寄せてきた。
早産でもない、妊娠中なにか異常があると診断されたわけでもない。もう間もなく出産予定だったのに、「なんで?」その言葉が涙とともにあふれた。

実はこの妊婦健診の1週間前、雪さんは次回の妊婦健診の日程を聞かれ、前日である2月2日と迷ったが、偶然にも2月3日に予約をしていた。
この時2月2日を選択していたら、何か予兆があって、この現実を変えられたのではないか。これは、赤ちゃんとお別れして2年が経った今でも雪さんの心に深く残っている。

この日は朝一番で受診したため、病院のベッドが空いておらず、夕方に再度病院に来るよう言われ一度帰宅した。
入院までは自宅で過ごしたが、パパもいるはずの自宅は静寂に包まれる。そんな中、親から子へのプレゼントとなる名前を決めようと夫婦で話し合うことにし、夫婦は2つの候補の中から、とっておきの名前を赤ちゃんへのプレゼントすることにした。

赤ちゃんとの出会い

夕方、雪さんは出産のため再度パパと上のお子さんと病院を訪れ、医師の説明を受けたうえで入院した。
病院で1人夜を迎えると寝付くことができず、助産師が用意してくれたCDの音楽を聞きながら、長い夜を過ごした。

そして翌朝、陣痛促進剤の投与を開始するものの、本陣痛へは繋がらない。

そんな中、雪さんは死産経験のある助産師と出会う。
他の助産師は、子宮の張りや血圧の確認をするのみであったが彼女は違った。

「お腹のお子さんのお名前、決めているんですか?」と声をかけられたのだ。

雪さんはパパと決めた名前を伝えると、その名前を呼びながら「会いたいから、早く生まれておいで」とお腹を優しく撫でる。そんな出来事がうれしかったと雪さんは話す。
思いがけない出会いによって温かい時間を過ごしながらも、雪さんには不安があった。

それは今後のことである。

雪さん自身、年齢のこともあり早期の妊活の再開を希望していた。しかし、自分は不育症なのか、そもそもまた授かれるのか、もし授かったとしても無事に出産するまで死産の恐怖に苛まれたまま過ごしていくのか……。そんな不安が渦巻いていた。
また、会社員として働く雪さんは産休に入る際、職場の方々に温かく送り出され、1年後くらいに復帰すると話していた。しかし、1年後に復帰すると思っていた社員がすぐに戻ってくるなんて、どう思われるのか。この時ばかりは、お腹の赤ちゃんのことよりも自分自身の未来への不安が上回る。

SNSで「臨月 死産」などで検索し、不安をどうにか拭いたいと検索結果を読み漁った。

入院3日目の朝、夜間は中断していた促進剤を再開した。

10時には本陣痛になり、無痛分娩のための麻酔が入る。
新型コロナウイルス感染症の影響もあり、中止されていた立ち合い分娩だが、事情を考慮しパパだけを条件に許可された。

そしてパパが見守る中、雪さんは43.5cm、2520gの可愛い赤ちゃんを出産した。

生まれた赤ちゃんに贈られた名前は「えまちゃん」
雪さんご夫婦の想いが込められた、大切なプレゼントだ。

雪さんご夫婦がえまちゃんに出会えた2月5日。
それは、数日間天候が安定しなかった空が、久しぶりに晴れ渡った日だった。

生まれたばかりのえまちゃんはあたたかく、ママの想像よりちょっと重い、そしてなによりとても可愛い女の子だった。やっと出会えたその可愛い女の子は、泣かなかった。周りは悲しい出産だと思うかもしれない。しかし、やっと会えた、その幸せにママの瞳からは涙が溢れた。

えまちゃんとママの記念写真

出産後2時間は分娩台の上で過ごした雪さん。
その間、雪さんの隣にはえまちゃんのいるコットが置かれ、雪さんご夫婦とえまちゃんの3人だけの時間を過ごした。

ああ、このまま時間が止まればいいのに……そうすればずっと一緒にいられる。この幸せな時間を幸せなまま止めてしまいたい。
しかしその願いは届かず、時計の針は時を刻む。

産後2時間が経過し、えまちゃんを預かってもらい、雪さんは病室へ戻った。
その後、助産師からの事前のアドバイスもあり、えまちゃんを病室へ連れてきてもらって小さな手足を記録に残した。

出産の翌日、入院中出会った死産経験者である助産師に再会する。
彼女は「お腹の中で赤ちゃんは苦しんだのではないか?」と涙を流し話す雪さんに「こんなに穏やかで可愛らしいお顔で生まれてきて、そんなことはない」そう声をかけてくれた。

家族と過ごす時間

退院後は、雪さんは自宅へ、えまちゃんは流産や死産でお別れとなった赤ちゃんを専門にするという葬儀会社に預けた。
出産から火葬までの1週間ほど、えまちゃんは葬儀会社に預かってもらっていた。

火葬前日、葬儀会社より「えまちゃんをご自宅に連れて帰りますか?」と連絡があった。

その日は雪さんの住む地域では珍しく雪が降っていた。そんな天候の中、えまちゃんは家に帰ってきた。
えまちゃんが、家族で過ごす残り少ない時間。
そんな貴重な時間、えまちゃんはお兄ちゃんと写真を撮り思い出を残す。
雪さんは、息子さんが怖がるのでは、悲しがるのでは……と不安に思ったそうだが、そんな心配は杞憂に終わり、息子さんは「えまちゃんプレゼントだよ!」とおもちゃを渡してくれた。

この日、雪さんは折り紙に思いを託し、えまちゃんにプレゼントする折り紙を折り続けた。

ママから送られた手紙と折り紙

そして、旅立ちの日

火葬当日、それは出産した日のように快晴だった。
前日までの雪が嘘のように、雲一つない冬の快晴。

雪がやまなければ、遠方に住むえまちゃんの祖父母は来ることができなかった。
「娘のおかげで晴れた」そう語る雪さん。えまちゃんが「みんなに会いたい」そう思ったから晴れたのだろう。

火葬場には、静かな空気が張り詰める。
ママやパパ、お兄ちゃんや祖父母からの手紙や花があふれる棺のふたを閉じてしまえば、それはえまちゃんとの永遠の別れを意味する。

お腹の中で大切に育てたわが子を、一緒に時を重ねるはずだったわが子を、もう骨にしないといけないのか。
こんなに小さい子が真っ暗な炉の中に1人で入って、1人で旅立たせてしまう。
こんなにも可愛いのに、なのに数十分もすれば骨だけになってしまう……。

どんなに願っても時は止められず、小さな小さな棺のふたがそっと閉められる。

えまちゃんとのお別れが決まってから何度も涙を流した雪さんだが、最後のお別れである火葬の時が、雪さんにとって一番つらく一番涙が流れた瞬間だったと話す。

愛娘を見送った数十分後、えまちゃんは骨になって雪さんのもとに戻ってきた。
不思議と涙は出ず、係の方が丁寧にお骨上げの説明をしてくれるその言葉の一つ一つを受け止める。

赤ちゃんの火葬は骨が残らないことも少なくはないが、えまちゃんはママに会いたかったのだろうか、しっかりと存在した証を残してくれた。
私の娘はなんて立派な骨だったんだ、そう思えるほどに。

願い

妊娠すれば出産まで至る。誰もがそう思っている。しかし、突然そのレールが行き先を変えることがある。
その行き先は悲しみだけが待つ世界だと思われがちだ。

だが、悲しみの感情が存在する一方で、赤ちゃんに出会えた喜びや幸せ、そういった感情もあることを知ってほしい、そしてその幸せな感情を誰かに聞いてもらいたいと雪さんは話す。
また、ペリネイタルロスを経験していない方にも、そういった思いが世の中に存在することを知ってほしい、理解してほしいとも話す。

妊娠出産をすると、通常自治体や病院などからその後のフォローが入ることがほとんどであるが、ペリネイタルロスになるとそのフォローが途絶える。
それでは、お別れを経験したママが孤独になってしまう。

我が子を失った悲しみも、我が子に出会えた幸せも、話したくても話せない、支援も少ない。
真っ暗な暗闇の中にぽつんと取り残されたような、孤独と不安が当事者にはついてまわることになる。

ペリネイタルロスは決して珍しいことではなく、当事者が声を大にして言わないだけで世の中のいたるところに、この事実は存在している。
そして当事者たちが孤独や不安、言葉にできない思いを心に抱えている。

そんな事実を少しでも知り、その思いを少しでも理解しようとするキッカケに、当記事、そして当サイトがなることを願う。

著者(写真=雪さん提供/取材・文=SORATOMOライター 川野志穂)


この記事は個人の体験を取材し、編集したものです
記事の内容は2024年12月の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
※記事内の画像や文章の転用を禁じます

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