こんにちは。XなどのSNSを担当していますハリーです。
いつも皆さまからの反応が活力になっています。ありがとうございます。
今日は、少し個人的なお話をさせてください。
2023年5月、第1子を火葬してから、もうすぐ2年が経ちます。
お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていると知った日、私は「我が子を火葬することがあるのだ」と、初めて実感しました。
出産が近づいたら、オムツや粉ミルク、かわいい洋服を買いに行こうとワクワクしていたはずのベビー用品店。
この日は、お供え物を選ぶために訪れました。
目の前にはベビーカーを押す家族。惨めで悲しくて、嗚咽が出るほど泣きました。
そんな私を不思議そうに見つめる周囲の人たち。
「そりゃ、私たちの事情なんて知るわけないよね」
「どうして私たちだけ……?」
そんな黒い感情が渦巻く中、ぬいぐるみと缶ミルクの会計を夫に任せたのを覚えています。
赤ちゃんのいない産休期間。
夫は仕事に出かけ、私は狭いアパートの部屋でひとり、大声で泣く日々を過ごしていました。
そんな時、SNSで同じように赤ちゃんを亡くした全国のママたちと出会いました。
自由に想いを呟き、共感し合い、日常を憂いたり笑ったり。少しずつ、閉じていた心が開いていくのを感じました。
そして2ヶ月後に職場に復帰しました。
赤ちゃんを見るたびに気持ちが沈みましたが、社内に死産を経験した方がいて、その方と話せたことで、心が軽くなったのを覚えています。
産休中も、復帰後も、「赤ちゃんを亡くした当事者」との繋がりが私を救ってくれました。
この繋がりを大切にしたくて、「ソラトモ」に加入しました。
そして、2年の月日が経って気づいたことがあります。
「実は多くの人が、悲しい経験を胸にしまっているのかもしれない」と。
当事者になってから、「この人に赤ちゃんの話をしても大丈夫かな?」と、一瞬ためらってしまう自分に気づきました。
「この人には話したくない」と思うときは、無理に伝えませんでした。
流産や死産のことについて無知だった私は、「誰かの悲しみを伝えてもらえなかった人」だったのです。
子どもを亡くした今だからこそ、「お空の子どものことを隠さず話してもらえるような人でありたい」と思うようになりました。
その人と一緒に、赤ちゃんの存在を感じられる人でありたいと。
「お空の子のママ同士の輪を広げること」が、私のライフワークなのかもしれません。

SORATOMO編集部
赤ちゃんとのお別れの「その時」から「これから、ずっと」共に生きるをテーマにしたWEBメディア「SORATOMO」を運営する編集部。流産・死産・新生児死・乳児死などで赤ちゃんとお別れをしたママと周囲の方へ向けた、生きていくヒントとなる情報をお届けします。